君想フ一輪の哀花 ~vigor vow~ 「姉さま」   幼さの残る声に呼ばれ、私は資料に目を通すのをやめた。 「どしたの、ちはな」   七つ年下の妹は、私のもとへとことこと歩み寄ってくる。 十二歳とは、こんなにも幼い印象を与える年齢だったのだろうか。 「このお写真、姉さまと、クロト兄さま?  眼帯はしてないけど。この男の子は?」 「どれ?」 差し出された写真を見て、私は思わず目を瞠った。 こんなもの、どうして見つかったのだろう。 「……うん、この女の子は私。だけど、男の子の方が、クロトさん」 「こっちの男の人じゃないの?」 「違うよ」 「じゃあ、どなた?」 妹の質問に答えず、私は曖昧な微笑を返した。 それを見て、答えるつもりはないのだとちはなは悟ったようだった。 「……わたし、姉さまに似てるんですね」 「……そうだねぇ。ちはなの髪が長かったら、十二歳のころの私だね」 さら、と肩口で私の髪が揺れた。 ……随分と短くなってしまった。 写真の中の私は、背の中ほどまである髪をハーフアップにしているというのに。 「……母様は、違うのにね」 「ちはな……」   瞳を曇らせた妹に手を伸ばした瞬間、扉がノックされる。 「誰?」 「俺だ」 「……名前を言おうよ、クロトさん」   現れた長身に、呆れたような目を向ける。 クロトさんはほんの少し不機嫌そうに鼻を鳴らした。 「ちはなは……ああ、ここか」 「にーさま?」 「家庭教師の先生が見えてるぞ。行かないのか?」   あっ、と小さく声をあげ、ちはなは立ち上がる。 「ちはな、また後でね」 「はい! いってまいります!」   ――行ってまいります。   耳の奥で、いつかの声が重なった。 「大丈夫か?」   その声とよく似た低音が、現実に響く。 いつのまにかクロトさんが私の隣に来て、心配そうに顔を覗き込んでいた。 「……ちはなが、この写真を出してね」   クロトさんの大きな手が、手渡した写真を受け取る。 その瞳が揺れたのを、私は見逃さなかった。   きっと、私も同じ瞳をしたのだろう。 「……どうして、今頃」 「さあ……」   クロトさんは顔を背けてしまった。 私のいる方からは、右目を覆う眼帯しか見えない。 「クロトさん……」   手を伸ばして、その眼帯をほどいた。 現れたのは、私と同じ翡翠色の瞳。 「……やめないんだね、その眼帯」 「ああ」 「どうして? やめちゃえばいいのに。 左右で色が違うこと、気にしてはいないのでしょう?」   ふ、と、彼は口元に笑みを浮かべる。 嘲笑でも冷笑でもない、どこか悲しげな微笑。 「……やめる気はない」   そうとだけ言って、クロトさんは私の手から眼帯を取り上げた。 「……まだ、私の言葉を気にしてる?」 「……気にするも何も。 吹っ切れていないのは、お前の方だろ」   しゅる、と眼帯を付け直す音がした。 「……兄貴の亡霊を見られるのは、ごめんだ」 そのまま、足音は部屋の外へと向かいかける。 思わず私は席を立って、その背中にしがみつく。 ……私も、女にしては背が高い方だけれど。 クロトさんはそれ以上に背が高くて、昔は並んでいたということが信じられない。 「……ごめんなさい」 「……」 「ごめんなさい……」   広い背中に顔を埋めた。 軍服――君影家の礼装だ――の硬い肌触りの生地を、ほんの少し湿らせてしまった。 「……離してくれ。伯父さんのところに向かわないといけないんだ」 「……」   名残惜しかったけど、その背から離れた。   クロトさんは少しだけその場に佇んでいたけど、踵を返すこともなく部屋を出ていく。   パタン、と乾いた音がやけに大きく響いた。   のろのろと視線を巡らせて、机の上においてある写真を手に取った、   髪の長い、少女の頃の私。 勝気そうな、少年の頃のクロトさん。 そして――クロトさんとそっくりな、だけど彼より柔らかな瞳の――。   あまの、と呼ばれた気がした。 「あ……」   目の端で、白い小さなモノが舞った。 季節外れの雪かと思えたそれは、ヘアバンドにつけた鈴蘭の造花。 「……馬鹿みたい」   約束の花は、もう枯れて。 今手元にあるのは、この偽物だけ。   それでもまだ、忘れられないなんて。 「……兄様…白夜兄様……」   耳の奥でまた、あの声が響いた気がした。 あれは、そうだ、七年前のことだった。 まだちはながこちらに引き取られる前で。 クロトさんと私の身長差もさほどなくて、彼が生来の翡翠色の瞳をあらわにしたままで。   何より、私のそばにいつも兄様…クロトさんの、六つ上の兄である、白夜さんがいた。   君影の家は、この地域では名の知れた旧家だ。 世が世なら伯爵家だか侯爵家。   母様は元々体が弱く、私を産んだ後は子供が望めなくなってしまった。 だから、私は幼いころから後継ぎとしての教育を叩き込まれたし、実際後継ぎになるのだという自覚の下で育った。   だけど、父様の考えは違ったようで、自分の甥――私にとっては従兄弟――の、白夜兄様、クロトさんのどちらかと私を結婚させ、婿養子として後を継いでもらうつもりだったようだ。   その証拠に、白夜兄様は公言こそされていなかったものの、私と婚約関係だった。   あの時、までは。 「……随分と、騒がしくなったね」   疎開のための荷支度をしているところに、声がかけられた。 「白夜兄様……」   軍服に身を包んだ白夜兄様は、驚くほどその恰好が似合わない。 生来の柔和そうな顔立ちのせいで、どうしても軍人には見えないのだ。 「兄様は、軍服がお似合いではありませんね」 「君影の礼装は、軍服なんだけれどね」 「あれは、礼装ですもの……。 実際の、戦闘服ではありませんから」   そうだね、と優しく微笑み、彼は私の頭に手をのせる。 「子ども扱いしないでくださいな……私、もう十二歳ですのよ?  もう、大人です。身体も……」 「ああ……そうだったね。 だから、伯父さんに直接言われたのか……」   なんとなく、白夜兄様の目が遠くを見ているような気がした。 「父様は、なんと……?」 「戦争から無事に帰ったら、婚約を正式に発表すると」 無事に、帰ったら。   その言葉が、こんなにも重くのしかかるなんて。   目頭が熱を帯びる。 それを察したかのように、気づくと私は兄様の腕の中にいた。 「……戦争なんか、早く終わればいい」 「あまの……」 「……いいです、何も、言わなくて」   赤紙が来た兄様に、戦争批判など言えるはずもない。 私はそれをわかっていて、こんな発言をしている。   ……たまには子供じみたことくらい言いたいと、思ったのだ。   あの日も、一緒にいて。 クロトさんも一緒に談笑していた。 そんな中で、突然あの、赤紙が届いて。 「兄様」 「うん?」 「……私、兄様が大好きです」 「……ありがとう」 「父様より、母様より。誰よりも、兄様が」   父様は尊敬している。 君影家の当主として。 だけど、父親としての愛情を、私は父様から感じたことなどない。   母様に憧れている。 あの物腰に、優美さに、女性として。 だけど、母様が私に向けるのは、当主になるのだという圧力だけ。 男子を産めない正妻の、苦痛だけ。 「……兄様だけです、私を、あまのとして見てくれるのは。 愛情を注いでくれるのは」 「……クロトも、あまのを見てるんじゃないかな」 「……だって私、クロトさんのことは単なるお友達だと思ってますもの」   私の発言に、兄様は困ったように笑った。   そのとき、扉がノックされた。 「俺だけど」   扉の向こうからかけられた声に反応して、兄様と私は同時に互いから離れた。 「クロト、俺だけど、は、やめなさい」 「クロトさん? どうしたのです? 入ってください」   扉の向こうから現れたのは、生意気そうな顔をした少年。 身長は150センチ程度で、伸びないことを気にしている。   とはいえ――あまのは似ていないと思っているが――その顔の造作は兄の白夜とよく似ている。 ただ一つ、その瞳の色が左右で異なることを除いて。   右目は、君影の家の特徴である翡翠色。 左目は、赤みの強い、褐色。   ――どことなく妖しく、それでいて美しい彼の瞳が、私は苦手だった。 「あまの、支度の進み具合はどう」 「もう少し……」 「今夜には発つんだから」 「わかってます……」   クロトさんは私を見て、次に白夜兄様を見た。 「お取込み中失礼しました。では」   兄に向って礼儀正しく一礼し、 クロトさんは振り返らずに部屋を出て行った。 「……随分と、不機嫌そうですね、クロトさん」 「まあねぇ……」 兄様はなんとなく、理由がわかっているようだった。 だけど、私にとってはどうでもいいこと。 「ああ、そうだ。あまの、こっちを向いてごらん」 「え?」   す、と、耳のあたりに兄様の手が伸びる。   何かが髪に差し込まれた感覚がして、思わず姿見を確認した。 「あ……」   差し込まれたのは、鈴蘭の花だった。 「……あまのは、鈴蘭の花言葉を知っているかい?」 「純粋、では?」 「それも正解。だけど、もう一個あるんだよ」   にこ、と微笑んで、兄様は言葉をつづける。 「幸せが帰ってくる、てね」 「……っ」 兄様、と、唇は動いたのに声が出なかった。 堪えていた涙があふれる。それを、兄様はそっと拭ってくれた。 「……帰ってくるから、ちゃんと。 そしたら、あまのと、私と、クロトと、また皆でお茶会をしよう」 「はい……きっと、約束ですよ……っ!」   兄様はまた、私を抱きしめてくれた。 「……うん、誓うよ。きっと、帰ってくると」 「……いって、らっしゃいませ」 「……行ってまいります」   兄様の瞳も、ほんの少しだけ揺れていた。 あの後、私たちは疎開先に向かうことになって、兄様とはお別れした。 きっと、また会えるのだと、そう信じて日々を送った。   それなのに。   終戦の宣言がされてなお、兄様は帰ってこなかった。 来る日も来る日も、私は窓辺で兄様を待っていた。   勿論、やることはしていた。君影家次期当主として。 だけど、それ以外の時間は、ただぼんやりと窓辺に座って外を眺めていた。 「あまの」   のろのろと視線を向けると、そこにはクロトさんが立っていた。 彼の掠れた声が、開いてゆく身長差が、過ぎていった時間を思い知らせる。 「……部屋に入るのに、ノックくらいしたらどうです」 「何度もした。俺も、伯父さんも、伯母さんも。 それでも返事がないから、俺が入ることにした」 「そう……」   どさ、と、クロトさんが腰を下ろした。   似ていない、と思っていた。彼と、白夜兄様は。 でも、成長している彼を見ると、似ているのだとわかる。 左右で色の異なる瞳が、そう思わせるのを邪魔していたのだ。   今は、それがありがたかったけれど。 「……あまの、もう、待つのはやめろ」 「……」   彼の語気に、なんとなく怒りの色を垣間見てしまって、私は押し黙った。 それが気に入らなかったのだろうか、クロトさんの声は、苛立っているような気配を帯びた。 「言っただろ、兄貴は死んだんだ。 そう、訃報も届いたじゃないか」 「……訃報だけ。身体も、形見の品も、何一つない。 もしかしたら、生きているかもしれないじゃない」 「聞いただろう、遺体を回収できる状況じゃなかったと。 ……兄貴が倒れたその場所が爆撃されたことを」 「やめて」   子供のように、私はいやいやと首を振った。 「約束、したもの。鈴蘭を、渡してくれて。きっと帰ってくると」   クロトさんの口元が、ゆがんだ。 嘲りとも、哀れみともつかない、歪な笑みの形に。 「その鈴蘭は、もう枯れたのに?」 「約束は! 枯れないもの!」 「約束をした人がいないのに、どうして枯れないと言えるんだ!」 その語気に押されて、私は立ち上がろうとした。 彼が怖かった。 信じているもの何もかもを壊そうとしているように見えて、私が縋るものを全て奪っていくのかと思えて。   だけど、それは失敗した。   私はクロトさんに手首を掴まれ、その場から立つことができなかった。 「やめ…」 「俺の目を見ろ」 「やだ……」 「見るんだ!」   勢いを増した声に驚き、彼の目を見る。 右目は彼の赤褐色の瞳を、左目は、翡翠の瞳をとらえた。 「よく聞け。兄貴は死んだ。それは、まぎれもない事実だ」   いやだ。 「そして、あまの。お前は君影家の次期当主だ。 次期当主が来る日も窓の外を見続けている、なんていう噂が流れたらどうするんだ。 君影の家は信用を失うぞ」   いやだ。 「認めろ、兄貴の死と、自分の責任を」   言わないで。そんな言葉。 そんな言葉を吐きながら、私を見ないで。 白夜兄様とそっくりな、その右目で。 「…………で」 「ん?」   私の、最後の抵抗だった。 「兄様と同じその右目で、私を見ないで」 ほんの少し、クロトさんの手の力が緩んだ。 「見ないで。その目で。そうしたら、認める。 兄様を思い出さなくて済むから。 決別できるから。あなたのその右目、封印して」  間が、流れる。私たちの間に、微妙な、長い間が。 「……そうか」   ぼそりと独り言のように呟いて、クロトさんは私の手を離した。 そのまま、彼の足音は部屋を離れる。 そう思いながらも、私はそちらを見られなかった。   扉が、閉まった。 「あ……」   私は、クロトさんも、手放してしまったのだろうか。   彼が、心底心配してくれていたことは、わかっていたのに。 どんなにぶっきらぼうでも、心配していなければ私を訪ねることもないと。 そんなことくらい、知っていたのに。   たとえ、お友達としてしか見ていなくとも、彼も大切な存在なのに。 「ごめんなさい……」   ……ごめんなさい、という言葉は、嫌いだ。   謝って解決するなら、物事はどんなに簡単だろう。 謝る気があるのなら、同時に対策を立て改善をすることの方が有用で、 大切であることなど知っている。   それでも、今はただ、謝る以外の方法が思いつかない。 「ごめんなさい……っ」   ごめんなさい、ごめんなさいと。 誰も聞いていないのに、ひたすら謝り続けた。 「あまの」   どれだけそうした頃か、背後から聞こえたのは、先ほど立ち去ったはずのクロトさんの声。   振り返って。 「あ……」   そう声を発してしまった。   彼の翡翠の右目は、黒い、鈴蘭の刺繍が施された眼帯で覆われていた。 「それ……」 「……随分昔に、渡されたんだよ。君影の色でない、左目を隠すために」 「……知らなかった」   クロトさんが、若干の憤りを孕んだ左目を伏せた。 「嫌だったからな。 生まれつきから、逃げるような真似。 自分が他人と異質だと、異常なのだと認めるようで」 「なのに、どうして」   伏せていた左目を、あげた。 私の翡翠と、彼の赤褐色が交差する。 「隠すのは右目だ。君影であることから、離れられる気がする。 それに……お前が兄貴と決別して、未来を見るなら、右目を隠すことくらい惜しくない」 ああ、もう。   なんて、馬鹿。   居丈高なふるまいをするくせに、他人を見下したような態度をとるくせに。   なんて、真っ直ぐで、馬鹿なんだろう。 「……クロトさん、その裁ちバサミとってください」 「これか?」   手渡された鋏を膝に置き、私は髪を後ろで束ねた。 「あまの、何を……」   クロトさんが言い終わる前に、 私の背の中ほどまであった髪は肩口までの長さになっていた。 「おまえ……」 「……断ち切れた」   無理やりに、微笑んでみた。と、頭をクロトさんにこづかれる。 「いたい……っ」 「ばーか」 「馬鹿じゃないもの……」 「馬鹿」 「うるさい、ばーか」   お互いに頬を膨らませたまま、じっと見つめあった。 「……ふっ」 「……ふふっ」   どちらからともなく吹き出して、私たちは抱き合って笑いあった。   数日後、クロトさんは短くなった髪に似合うようにと、私に鈴蘭の造花がついたヘアバンドを送ってくれた。 「もう…懐かしいなぁ……」   写真をしまいなおして、私は呟いた。   若かった、というか、幼かった。私も、クロトさんも。 でも、幼いなりにどこまでも真剣だった。   その真剣さが残ってるから、私は髪を短くしたままだし、あの人も眼帯を外さないのだろう。 「姉さま?」   はっと扉の方を見ると、ちはなと、彼女を抱き上げたクロトさんがいた。 「入るならノックくらい……」 「したのに、姉さま気づかなかったんです…むう……」 頬を膨らませたちはなに、「ちはな」とクロトさんが声をかける。 「むくれるより先に、したいことがあったんじゃないのか?」 「あ!」 「ほら」   すとん、と床に降ろされたちはなは、そのまま私の方にとことこと歩み寄ってくる。 「ん?」 「はい、姉さま!」 「あ……」   小さな手で差し出されたのは、鈴蘭だった。 「……ちはな、鈴蘭の花言葉、知ってる?」 「純粋、では?」   私は自分の頬が緩むのを感じた。かつての自分と、ちはなが重なる。 「それも正解。だけど、もう一個あるの」   にこ、と微笑んだ。 「幸せが帰ってくる、てね」   きょとん、とした顔のちはなを、私はぎゅっと抱きしめた。 「実感わかないかなぁ……うん、いいことだ」 「にゅー?  ……あ、姉さま、私良かったら姉さまの昔のお写真見たいです!」 「ん、そうだねぇ、ばあやのところに行ってごらん。 持って来たら、一緒に見よう」 「はい!」   とてとてと部屋を出るちはなを見送ってから、私はクロトさんを見上げた。 「……さっきは、ごめんなさい。取り乱しちゃって。 やっぱり、忘れられないみたい」   私の言葉に、クロトさんはなんとなくばつの悪そうな顔をした。 「……忘れられないのは、悪いことじゃない。 固執しなければいいんだ。 ……俺も、すまん。ちょっと、冷静さを欠いていた」   おや、と私は少し意外に思った。素直に謝るなんて珍しい。   私はまた眼帯に手を伸ばした。 「……眼帯、取らないの?」 「ああ。かっこいいだろ。……ヘアバンド、取らないのか?」 「うん、素敵でしょ」 「馬鹿かお前は」 「あなたもね」   少し意地の悪い笑みを浮かべて、私たちは互いをじっと見つめあった。 「……ふっ」 「……ふふっ」   どちらからともなく吹き出して、私たちは抱き合って笑いあった。 あの時と、同じように。 「ね、クロトさん。私、今、幸せだよ。 戦争が終わって、ちはなが私のもとに来てくれて、あなたとこうして笑いあえていて」 「ちはながこの家に来たのは……」 「あの件の、すぐ後。 あの子とあなたのおかげで、私持ち直せたようなものだもん」 頼りなさげな、始めて見る七つ年下の妹。 戦争で母親を亡くして、頼る当てがなくて引き取られた本宅でさえ、母様や使用人の目におびえた、頼りない妹。   それが、ちはなと最初に会った時の印象だった。   目が合った、あの瞬間に。 『……姉さま?』   そう呼ばれて、自分を重ねてしまった。   父にも母にも頼れず、兄様の愛情に縋っていただけの自分を、この妹に。   それ以来、私がちはなに一番愛情を注いだ人物なのだ、という自信はある。   とはいえ、クロトさんも似たようなものだったけれど。 ……きっと、私と同じことを考えていたのだろう。 「今はね、幸せが帰ってきたと思ってるよ。 そりゃ、構成員は違うけど……それでも、こうして一緒に笑えあえるんだもん」 「……そうだな」 「……それでも、やっぱり、忘れられないなぁ」   抱き合ったまま、クロトさんは私の髪を梳いた。 「忘れなくていい。 いつか、もっと穏やかに思い出せて、ちはなに話せるようになるのを待つさ」 「……うん」   すり、と猫のようにクロトさんの胸に顔をすりつけた。   ふと、ノックの音が聞こえた。きっと、ちはなだ。   身体を離して、ドアの方へ歩く。 私が開けたら、ちはなはびっくりするかもしれないなと思うと、自然に口元がほころんだ。   クロトさんの赤褐色の視線の先で、鈴蘭が揺れたのを感じた。 ―完― おまけ(設定など) 現実の世界に良く似た世界。 時代的には、回想部分は日本の昭和20年代に相当。 作中にもあるように、君影の家は大きく、地元の政界・財界等にも人材を出しています。 あまのは現当主と本妻の間に生まれた一人娘。 ちはなは現当主と妾の間に生まれた子。 何かと本家の人間に目をつけられるちはなを、あまのとクロトが可愛がって守っています。 また、白夜が死んだことで自動的にあまのはクロトと婚約関係になっていたりもします。 なお、この設定は非公式です。 参考にするもよし、ガン無視するもよしですw お好きな君影像を描いてください。 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。 2013.10.31.シオン